病気になったのがストレスが原因というけど何がストレスだったのか振り返ってみました。

ErikaWittliebによるPixabayからの画像 心の病気

 

こんにちわ。

はじめに

私が自律神経失調症と診断された病名。

これは厚生省によると

ストレスなどが原因で、自律神経である交感神経と副交感神経のバランスが崩れて出る様々な症状。 自律神経失調症は、自律神経がストレスによって正常に機能しないことによって起こるさまざまな症状の総称です。

ストレスとは?

過去を振り返って

当時、私がストレスになっていたと思われる内容について発信したいと思います。

仕事

私は令和元年に3人目を出産。

1年間育児休業をとり現場に復帰しました。出産前と同じ病棟に復帰、特に私自身はイジメにあったりもなくそれなりに人間関係は良好でした。上司も優しく子供の発熱等の時は休みもいただくことができていましたし、年齢的に自分より年上の先輩達が多かったですが皆、ママパパ世代でしたのでとても理解してもらえる環境でした。

しかし、私の思考が良くなかったのです。

先輩達は私からしたら育児も家事も仕事も全部できてるように見えてキラキラしていたんです。

特に同じ3人のママでスタイルも良く、仕事も人より3倍の早さで捌かせる先輩がいました。夜勤もされていました。私からしたら理想でもあり完璧なのです。同時に何で私は先輩みたいにできないのか、同じママなのにこんなに働けるのかと比べてしまう気持ちの方が強かったのを覚えています。

急性期病棟で8年勤務していて繰り返し入院する患者さまはいましたが、一度は元気に又は症状が軽減してから退院していく姿は仕事へのモチベーションの維持ができていました。

療養病棟になり寝たきりの患者さま、身寄りがなく何十年も入院している患者さま。勿論大切なお仕事です。が、そこに根強い幻聴や妄想症状、治ることのない重度の認知症や知的障害の患者さまを家族の金銭的な理由や疎遠等により同じ病棟で観る。認知症の方の見守りをしながらオムツ交換や薬対応をする。よれよれの洋服を着ていたりトイレはポータブル。私の看護観とかけ離れており看護師としての役割が分からなくなってしまいました。

丁度復帰して一年後ぐらいに転職を考え始め上司に相談。私が入社した時の上司だったので凄く理解をしてくださりました。ただすぐには退職の許可はおりません。一旦焦らず考えてが最初の返答で何度か個人的に面談をすることになりました。

コロナによる生活スタイルの変化

医療従事者は優先的にワクチン接種が最初らへんでした。

私はワクチンへの抵抗はありませんでしたが、

コロナワクチンは流行し出してから世に出回るまでが異常な早さでしかも無料、しかも副反応がある。とても疑い深く心配性な私はあまり打ちたくはありませんでした。が、医療従事者なので集団接種しました。そして緊張と疲労も考えられますが打った直後に動悸と体が燃えるような熱感が出現し、具合いが悪くなり救護室に行きました。

生活スタイルも当時は緊急事態宣言もあり買い物も大人のみ。職場の決まりも必要最低限の買い物以外禁止であり県外への外出は不可。何の楽しみもなく休日は自宅で過ごす、旅行や遠出できずできませんでした。子供が熱を出してはコロナだったらどうしよう、周りにうつしたらどうしようと不安や心配な気持ちが膨らみ、とてもストレスになっていました。子供の習い事先で陽性者が出ると3日間子供と自宅待機となりそ当時は人手が少ない時に迷惑をかけてしまったという気持ちになっていました。

実父がうつ病発症

私の父親は典型的な完璧主義者(私もですが)。

父は実母(祖母)が亡くなってからも仕事はしていました。仕事も役職でしたが役職と営業の仕事の両立を言われていたそうです。60歳手前の父にとってそれは体力も精神にも負担。おまけに完璧主義者なので絶対なのです。次第に仕事に行く時に冷や汗や痺れが出るようになったとのこと。のちのち母から聞いた話によるとある日、泣きながら途中で帰ってきたことがあったとのことでした。私に電話がありました。そして休職を提案し退職。まだ働ける!と思っている父と健康を優先してほしい家族。そして退職して私の家から車で30分ぐらいのところに家を購入し住むようになりました。が、異変にすぐ気づきました。

父の思考が明らかにおかしいのです。周囲の目を気にするようになり買い物先では挙動不審。仕事熱心だった為、抜け殻のようになりました。そこに祖母のお家や購入した家の問題等が重なり、始めは腰の痛みを訴えていたのですが次第に身体のあちらこちらを訴え(不定愁訴)次第に泣きながら大きい病気だ!と言うようになり横になる時間が増えてしまいました。旦那も同業種だったので一致してこれはすぐに精神外来に連れて行かないと!となり予約。子供のように病院に行きたくない!!!と泣き叫ぶ父を母と一緒に外来に連れて行きました。重度のうつ病と診断されました。父の明らかに変化した精神状態をみるのは辛く、専業主婦の母のサポートも大事でしたので気が休む暇はありませんでした。

仕事と母業の両立

仕事は産後明けから日勤のみの8時30分から17時で週5勤務。

朝は6時前に起床→保育園組のお弁当作り→長男の小学校の準備→自分の支度→通勤20分→職場の保育園に送り出し→出勤→退勤→夜ご飯の準備・食べさせる→片付け→風呂→明日の準備→寝かせつけ。

23時にやっと終わるんです。自分の時間なんて10分あればいい方。まだまだ手がかかる年齢でもあり自分の夜ご飯は立って食べていました。体力的にも精神的にも余裕がなくイライラ。早くして!!と言うことが多かったです。

以上4つが自分がストレス(刺激)となっていたと考えられる内容でした。

こうやって振り返りながら文章にすると当時ストレスになっていた事柄が整理されどんな気持ちでどのくらいのストレスを抱えていたのか明確になりました。

よくネットで調べると”様々のストレスが重なり、、”等記載されています。

皆さんの様々は何でしょうか。

長くなりましたが

読んでいただきありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました